改革開放40周年を共に語り,協力ウィンウィンの新たな一章を引き続き記す
―改革開放40周年記念・中日経済貿易協力シンポジウム傍聴記
2018/12/05
 

12月初めの東京はまさに紅葉真っ盛りだ。3日午後、東京都千代田区に所在する日本経団連会館の国際会議場は熱っぽい雰囲気に溢れ、それぞれの真摯なスピーチ、考え方のぶつかり合いに盛んな拍手が送られていた。これは中国改革開放40周年記念・中日経済貿易協力シンポジウムの現場である。

今年は中国の改革開放40周年、また中日平和友好条約締結40周年に当たり、同時に改革開放の総設計師、鄧小平同志の訪日40周年でもある。こうした特別に重要な年において、中日関係は再び正常な軌道に戻り、前向き・上向きの勢いを呈している。中国の改革開放の歴史的成果を振り返り、中日の各分野の実務協力と中国の改革開放がこの40年間に共に歩んできた非凡な歴史的過程を思い起こし、将来の両国互恵協力の広々とした前途と前進する方向を展望するため、駐日中国大使館と日本経済団体連合会は改革開放40周年記念・中日経済貿易協力シンポジウムを共同で開催したのである。

これは中日双方がこの歴史的合流期に開いた盛会である。中国人民外交学会名誉会長で元外交部長の李肇星氏、中国の程永華駐日大使、陳健・元商務次官、張来明国務院発展研究センター副主任、任志武国家発展・改革委員会副秘書長、楊伯江社会科学院日本研究所所長、日本の福田康夫元首相、河野太郎外相、中西宏明経団連会長、大平正芳元首相の孫娘の渡辺満子さん、進藤孝生新日鉄住金社長および経済産業省、日中経済協会、日本経済産業研究所、パナソニックグループ、三菱UFJ銀行、丸紅、日立製作所などの各代表が出席して発言し、中日の政治、経済界関係者250人余りが一堂に会した。彼らはいずれも中国の改革開放の目撃者、参加者であり、中日の互恵協力の先行者、耕し手である。

改革開放を行い、中日が固いきずなを結ぶ

「速い。本当に速い。まるでせき立てられながら走っているようだ。これこそ我々が求めていた速さだ」。これは鄧小平同志が1978年10月に日本を訪問し、新幹線に乗った時の感想であり、広く知られた言葉である。当時、大学のキャンパスを出てからちょうど1年目の駐日中国大使館の若手外交官として、程永華大使は鄧小平同志の訪日に関する連絡調整業務に直接参加していた。程大使はこの経験を振り返り、改革開放の決定が下された中国共産党第11期3中総会の開催までわずか2カ月足らずという時、鄧小平同志は中国の発展・建設の壮大な青写真を描いていたのであり、上記の感想には日本の経験に学び、中国の近代化建設を加速、推進するという彼の当時の深い思いが反映されていたと述べている。

日中映画祭実行委員会副理事長を務める大平正芳元首相の孫娘、渡辺満子さんは祖父が1979年に首相として中国を訪問し、鄧小平副総理と会談した時の光景をしみじみと振り返った。その時、大平氏が「中国は自らの考え方に基づいて壮大な近代化計画を打ち出したが、近代化全体の青写真はどのようなものか」と尋ねると、鄧小平氏は1分間考えた後、「われわれの四つの近代化の概念はあなた方のような近代化の概念ではなく、それは『小康の家』である」と答えたという。祖父の大平は、この中国指導者の自国の発展に対する情熱と外国の先進的な技術・経験に学ぶという謙虚な気持ちを強く感じたと語っていた、と渡辺さんは回想している。この訪問を通して、日本は中国に政府開発援助(ODA)を行い、中国のインフラ建設を支えていくことを決定した。

40年前の訪日の旅で、政治日程のほか、鄧小平副総理はさらに複数の日本企業を訪問した。シンポジウムの席上、パナソニックの横尾定顕執行役員は鄧小平氏が40年前に松下電器産業を訪問し、松下幸之助氏と会談した時の貴重なビデオを放映した。鄧小平氏は松下電器に対し、中国の改革開放建設に参加するよう懇請し、松下幸之助氏はその場で「全力でやらせていただきたい」と応じた。新日鉄住金の進藤孝生社長は、鄧小平氏が当時弊社を訪れた時に揮毫した題辞「中日友好合作之路越走越寛広」(中日友好協力の道はますます広がる)は今でも当社の応接室に大切に保存されていると語った。

日進月歩で進み、中国の成果は世界で注目される

この40年間、国際社会の支持の下で、中国人民はたゆまぬ奮闘を通じ、歴史的発展の成果を得た。シンポジウムに出席したゲストは、改革開放は天地を覆すような変化を中国にもたらし、40年の急速な発展を経て、中国はすでに世界第二位の経済体(エコノミー)となり、改革開放は中国に巨大な発展を得させただけでなく、世界にも深い影響を与えたと次々に表明した。中国は長年連続して世界の経済成長に対する寄与率が30%を超え、世界の経済成長の主要な安定器、動力源となっている。現在、中国は日本を含む130カ国余りの主要貿易パートナーとなり、中国の発展は世界各国にビッグチャンスを生み出している。

日本側のゲストは中国の改革開放で得られた輝かしい成果に祝意を表し、中国指導者と中国人民に敬意を表した。日本の福田康夫元首相は、40年前、中国の改革開放初期、中国経済はまだ大きな困難に直面しており、経済規模も大きくなかったが、この40年間に中国では努力により巨大な変化が起き、現在の経済規模はすでに日本の3倍近くとなり、国際社会における中国の地位は同日に論じることができないと述べた。河野太郎外相は中国語で中国の改革開放40周年を祝賀し、場内の誰もが讃嘆した。日立製作所中国総代表の小久保憲一氏は、改革開放40年の発展を経て、中国は経済規模が増大し、産業力が増強され、人工知能〈AI〉分野について言うなら、中国の特許出願件数はすでに世界一であり、いまやいかなる国際業務であろうとも中国を抜きにすることはできないと述べた。

肩を並べて共に進み、互恵協力が絶えず深まる

日本の河野太郎外相は、改革開放がスタートし、日本は政府開発援助(ODA)、民間企業参加などの方式を通じ、中国の改革開放事業を支援してきたと表明した。日本の援助は改革開放事業に寄与すると同時に、それはまた日中関係の発展を支える重要な柱となった。

「日本は早くも改革開放の初期に率先して支持を表明し、円借款、無償援助、技術協力、民間投資、長期貿易などの方式を通して積極的に参加し、中国の近代化に重要な貢献をすると同時に、その中から確かな利益を得た」。中国の李肇星元外相、程永華駐日大使、楊伯江社会科学院日本研究所長らの中国側ゲストは日本が改革開放を支援し、これに参加してきた歴史的歩みを次々に高く評価した。

政府開発援助のほか、多くの日本企業が中国の改革開放事業に深く参画した。パナソニック、新日鉄住金、丸紅、日立などの責任者は、彼らの会社がどのようにして中国の改革開放初期に率先して中国市場に進出し、対中協力の中で絶えず発展し、強大化したのかについて説明した。「40年前、鄧小平副総理が新日鉄の君津製鉄所を視察し、これを契機として、われわれは上海宝山製鉄所の建設に参加し、協力は成功を収め、両国の経済協力の成果となった。われわれはこれを誇りに思っている」、新日鉄住金の進藤孝生社長はこう述べた。

「この40年間、日本は中国の改革開放のプロセスに深く参画し、中日の経済貿易関係は苦難の道を経て、長足の発展を実現した。両国は経済的なつながりが日増しに緊密となり、互いに融合し、協力分野が絶えず拡大さされ、全方位、高次元の協力の枠組みが作り上げられた」。――かつて対日経済貿易、対外投資・労務協力などの業務を主管した陳健・元商務次官は中日協力の非凡な歴史的歩みを全面的に整理するとともに、中日の経済貿易関係の発展についての深い思いを分かち合った――中日の協力実施には良好な環境が必要で、官民連携が必要で、時と共に進むことが必要である、と。

この非凡な歴史的歩みを回顧し、中国の李肇星元外相は基調講演の中で総括を行い、「改革開放40年間の風雨の歩みを振り返ると、中日両国が戦争の影を抜け出し、冷戦時代のゼロサム対決を乗り越えて、互恵協力の一大成果を収められたのは、結局のところ、平和と発展という時代の流れをしっかりつかみ、あくまでも両国国民の根本的利益を踏まえて、お互いの発展を自らのチャンスとみなし、平和友好、協力ウィンウィンの正しい道を歩んできたことにある」と述べている。

未来を展望し、質的向上・高度化で新たな一章を記す

数日前のG20ブエノスアイレスサミットの席上、習近平主席は基調演説の中で、再度世界に向かって次のように表明した。中国は改革開放から利益を得ており、中国は確固として揺らぐことなくこの道に沿って歩んでいく。中国は引き続き市場化改革を深化させ、財産権と知的財産権を保護し、公平な競争を奨励し、主体的に輸入を拡大し、中国の市場を一段と世界に開いていく。

国務院発展研究センターの張来明副主任、国家発展・改革委員会の任志武副秘書長は中国が革新、協調、グリーン、開放、共有の発展に尽力するという今後一定期間の発展計画および、中国が自らの新たな発展の青写真を実現するために講じているより高い発展レベルの開放型経済、新旧エネルギーの転換加速、民生の足りない部分の重点的補充などの措置をそれぞれ紹介した。これらの「乾貨」〈水増しされていない中身が充実したものを指す〉に対し、日本の経済関係者は真剣に耳を傾け、メモを取り、何度もうなずき、応じていた。

中日双方のゲストはいずれも、中国の新たなラウンドの改革開放は中日がより高いレベルの互恵協力を繰り広げるための広々とした空間を開き、より大きなチャンスを生み出すだろうとの考えを示した。経団連の倉内宗夫中国委員会企画部会長は「国際協力銀行〈JBIC〉が先週発表した調査データによれば、中期的に見るなら、日系製造業企業は2年連続して中国を最も有望な事業展開先国としている」と述べた。各ゲストは将来の中日経済協力に強い自信を示し、中日双方は手を携えて努力し、引き続き投資と実務協力を深め、新時代における中国経済発展の新たなチャンスを共有しなければならないとの考えで一致した。日本経済産業研究所の中島厚志理事長は「中日両国の経済規模と隣国効果から見て、今後二国間貿易額が現在に比べ1割強さらには8割増えたとしても何ら不思議ではない」と述べた。

「中日のイノベーション協力、省エネ、スマート製造、スマート物流、第5世代移動通信、デジタル経済などの分野の協力を後押しする」、「第三国市場協力を共同で推進し、第三国市場協力モデル事業の早期実施に力を入れる」、「アジア太平洋地域の統合プロセスを共にリードし、中日韓自由貿易協定と東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の交渉を加速させる」。今後の協力の方向において、中日双方のゲストの考えが期せずして一致した。

思いやりの言葉があり、苦楽を共にしてきた記憶があり、考えのぶつけ合いがあり、また、中日の将来の協力に対する期待もあった。「シンポジウムはまさに時宜に適ったものである」、主催団体の一つである経団連の中西宏明会長はこう述べた。参加した中日両国の関係者は、シンポジウムは40年間の改革開放の輝かしい成果を振り返り、中日協力の非凡な歴史的歩みを思い起こし、中国の発展が地域の国々と世界にもたらす意義を探り、中国の新たなラウンドの開放政策をはっきりさせ、中日両国の実務協力の見通しを展望する良いチャンスになったと次々に表明した。両国各界の人々は、中国の開放の扉はますます大きく開かれ、今後日本を含む世界各国により多くの発展のチャンスを提供し、中日互恵協力の道はますます広くなるだろうとの共通認識を得た。河野太郎氏は「今回のシンポジウムが日中の新時代の協力を推進する契機となるよう心からお祈りする」と述べた。

シンポジウムは熱っぽい雰囲気に包まれ、インタラクティブな交流が積極的に行われ、クライマックスが何度も訪れ、滞りない成功を収めた。

今回の活動は中国社会科学院、人民中国、在日中国企業協会、日中友好7団体、日中交流促進実行委員会の協賛を得、中国外交部、商務部、日本外務省、経済産業省の後援を得た。NHKテレビ、時事通信社、テレビ朝日、日本テレビ、「読売新聞」、「毎日新聞」、「産経新聞」、「西日本新聞」などの日本メディア、新華社、人民中国、中央広播電視総台、鳳凰衛視など10余りの中国メディアおよび、「中文導報」などの在日中国語メディアが活動全般について詳細な報道を行った。