証拠の地図あり―釣魚島は昔から中国に属している

2012-09-21 13:00

 

  

 

   領土を守るには、確固たる決意、必勝の信念が必要であるとともに、理性的な考察、客観的な証拠も必要である。釣魚島とその付属島嶼は古来中国に属している――中国の古い地図がこの事実を証明するだけでなく、日本の古い地図にも明確に表示されている。香港中文大学の研究員鄭海麟氏が収集した地図は、われわれが釣魚島の主権を守るための反ばくの余地のない動かぬ歴史的証拠を提供している。歴史の改ざんを許さぬ、主権の侵害を許さぬ、領土の強奪を許さぬ―これらの地図を前にして、われわれの決意は一層固くなっている。

   釣魚島とその付属島嶼は古来、中国の固有の領土である。しかし日本は無理にこじつけ、釣魚島は琉球に属し、琉球は日本に属していると言い張っている。これについて、香港中文大学アジア太平洋研究所研究員の鄭海麟氏は先ごろインタビューを受けた際、中日両国の歴史地図を通して強力に反ばくした。一問一答次の通り。

   記者:わが国で最も早く釣魚島とその付属島嶼を詳細に表示した地図はどのようなものか。

   鄭海麟:歴史上、このような地図は数多くある。1561年、東南沿岸の防備にあたった明朝の最高将領胡宗憲と地理学者の鄭若曽が共同で編纂した「籌海図編」は、釣魚島(この地図では釣魚嶼となっている)、黄尾嶼、赤尾嶼を「沿海山沙図」に入れ、中国領土として沿岸防備区域に挙げている。1621年に刊行された「武備志」中の福建沿海山沙図も、釣魚島、赤尾嶼などを福建の行政管轄区域に入れている。清朝時代、同治二年つまり1863年に作られた「皇朝中外壹統輿図」には、「高宗純皇帝御製詩」と「乾隆丙子夏六月御題」が付いており、清朝の乾隆皇帝が自ら許可した官製地図だったことを証明できる。その中の「大清壹統輿図」(局部)(上図)をみると、福建の梅花所から琉球の那覇港に行くのに、経由する東沙、小琉球、彭佳山、釣魚嶼(即ち釣魚島)、黄尾嶼、赤尾嶼はすべて中国語の名前しかついていないが、姑米山からは、琉球の訳名が付されており、その図案は円形から楕円形に変わっている。これからも、中国と琉球間の地方境界線は赤尾嶼と姑米山の間にあったことがわかる。

   記者:日本にもこのような地図はあるのか。

   鄭海麟:実際、日本側にも、釣魚島とその付属島嶼が琉球の一部ではないことを証明できる地図がたくさんある。日本人の宮城栄昌が編纂した「沖縄歴史地図」の中に、明、清琉球冊封使の往来路線図がある。この図で、琉球王国の領土は赤色で表示され、中国領土は黄色で表示されており、琉球王国の領土の最南端は与那国島を境にし、南西端は姑米山(久米島)を境にしている。釣魚台(即ち釣魚島)、黄尾嶼、赤尾嶼はいずれも琉球王国の領土の範囲内にはなく、中国の領土に属している。この本は東京の柏書房が1983年に出版した。

   1785年に日本で出版された「三国通覧図説」の付図「琉球三省並びに三十六島之図」は、花瓶嶼(即ち花瓶山)、釣魚台(即ち釣魚島)、黄尾山(即ち黄尾嶼)などの島嶼を中国本土と同じ赤色で描き、中国領土であることを明確に表示している。

   日本人伊地知貞馨が明治十年(1877年)に著した「沖縄志」は、琉球の境界を北緯24度から28度40分、東経122度50分から132度10分と明確に定め、区域内を沖縄本島と36の付属島としている。この本に収録された琉球島全図には、沖縄島全図、久米島全図、宮古島全図、八重山島全図が含まれているが、いずれにも釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼などの島嶼はみられない。一方、これらの島嶼は実際には、同書によって画定された経度・緯度内にある。これは、少なくとも1877年まで、日本が釣魚島とその付属島嶼を琉球の領土版図とみなしていなかったことを証明するのに十分である。

   さらに、もう1枚の地図も非常に説得力がある。日本で明治九年つまり1876年に刊行された「大日本全図」である。これは軍用地図で、日本の陸軍省参謀局によって作成・刊行された。陸軍省参謀局は陸軍参謀本部の前身だ。日本が琉球を併合したのは1879年だが、1876年に作られたこの地図はすでに琉球列島を日本の版図に入れている。ここで強調する必要があるのは、釣魚島とその付属島嶼の区域が空白で、目と鼻の先にある釣魚島が描かれていないことである。これも釣魚島が琉球に属していないことを証明している。もう少し時間を引き寄せてみても、日本人文社が1969年に出版した地図帳に付された「日本地図」(右図)でさえ、西南諸島(日本では南西諸島という)の部分に、釣魚島とその付属島嶼は見られない。

   記者:諸外国で過去に出版された地図にはどのように表示されているのか。

   鄭海麟:フランスの出版家、地理学者ピイエ・ラビ、アレキサンダー・ラビは1809年に、台湾を中心にした東中国海沿岸図を作っており、その中で釣魚島、赤尾嶼を共に台湾島と同じ赤色で描き、八重山、宮古列島と沖縄本島を緑色で描いて、釣魚島とその付属島嶼が中国に属することをはっきり示している。また、米国人、ジョセフ・ハッチン・コットンが1859年に作成した「ハッチンの中国」地図、スペイン人モラレスが作成し1879年に刊行されたアジア地図はいずれも、釣魚島とその付属島嶼が中国領土に属することをはっきり示している。

(写真はすべて鄭海麒氏提供)