日本の釣魚島不法占拠は「カイロ宣言」などの国際法文書をないがしろにするもの

2012-09-22 15:00

 

   権威者対談:日本による釣魚島の不法占拠は「カイロ宣言」などの国際法文書をないがしろにするもの――中国社会科学院中国辺境歴史地理学研究センターの李国強副主任、釣魚島問題を語る。

   「命名」から「島の購入」まで、日本政府のこのところの釣魚島の侵略・占領を狙った一幕一幕の芝居は、深くしまい込んでいた野心を露わにした。

   第二次世界大戦以降、戦後の関連問題をよりよく処理するため、第二次大戦の同盟国は、一連の法律文書を作り上げた。これらの国際法の効力を持つ文書は、釣魚島の問題をどう定めているのだろうか。日本は「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」などの国際法文書の履行を約束しているのだろうか。新華社記者は李国強中国社会科学院中国辺境歴史地理学研究センター副主任にインタビューした。一問一答次の通り。

   記者:最近日本はしきりに釣魚島を不法占拠する「茶番劇」を演じているが、国際法の文書ではこれについてどのように定めているのか。

   李副主任:日本の釣魚島問題での誤った行為は、本質的には「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」などの国際法文書で決まった戦後の対日処理をないがしろにするものであり、世界反ファシズム戦争における勝利の成果を踏みにじるものである。

   第二次世界大戦で決定的な勝利を得た後、中、米、英3カ国はカイロで会議を開き、対日作戦でどのように協調するかの共同軍事問題、そして戦後日本をどう処置するかなどの政治問題を話し合った。その後「カイロ宣言」が作り上げられ、1943年12月1日に公表された。「カイロ宣言」は次のように明確に定めている。すなわち、中国東北、台湾、澎湖群島など日本が窃取した領土は、中国に返還させる。日本は武力および貪欲によって略取した他の地域からも、駆逐される。1945年7月、中、米、英3カ国は「ポツダム宣言」を発表した。そのうちの第8条では、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と定めている。この二つの国際的法律文書は、反ファシズム戦争の最も重要な成果の一つであり、中国人民を含め、世界の反ファシズム闘争が生命という代償であがなった国際的な条約である。だが過去数十年の間、日本は「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」を順守しないだけでなく、事実上否定してきた。

   記者:日本は釣魚島の不法占拠に際し、「サンフランシスコ講和条約」の規定を持ち出した。この根拠は成り立ちうるのか。

   李副主任:日本は釣魚島の主権の不法占拠で複数のいわゆる根拠を出した。そのうちの一つが、「サンフランシスコ講和条約」である。1951年、米国および一部の国が、中国が参加しない状況の下、日本と「サンフランシスコ講和条約」を締結し、北緯29度以南の南西諸島は、米国が管理すると定めた。これに対し、中国政府は次のように厳粛な声明を出した。「サンフランシスコ講和条約」は中華人民共和国が準備、立案、締結に参加していないため、中国政府は、不法、無効であるとみなしている。そのため、絶対に認めるわけにはいかない。

   1953年12月25日、琉球列島の米国民政府は「琉球列島の地理的境界」(第27号布告)を発表し、勝手に米国の信託統治の範囲を拡大し、中国領土である釣魚島をその中に押し込んだ。1971年、米国と日本は「沖縄返還協定」に署名し、琉球列島の施政権を日本に返還した。これは当時の中国政府の抗議に遭った。中国政府は声明を発表し、勝手に釣魚島を返還地域に組み入れたのは不法であり、これは中国が釣魚島に主権を持っているという事実を少しも変えることができず、これは中国の領土主権に対するあからさまな侵害であり、中国の人民は絶対に容認することはできない、と指摘している。

   米日間のこのようなひそかな受け渡しは、中国人民の憤りを引き起こし、当時世界を席巻する華人〈移住先の国籍を取得した中国系住民〉の「保釣」〈釣魚島防衛〉活動が起こった。

   日本は釣魚島問題において「カイロ宣言」を避けて語らず、「ポツダム宣言」にも言及せず、逆に「サンフランシスコ講和条約」を引用して、釣魚島は「サンフランシスコ講和条約」の第2条で定められた日本が放棄する範囲に含まれておらず、「サンフランシスコ講和条約」で定めている南西諸島の一部に含まれ、米国の施政権下に置かれていたと公言している。日本が出した根拠は歴史的事実に合致しておらず、たとえこの不法で、無効な「サンフランシスコ講和条約」でも、釣魚島には触れていない。このいわゆる日本の根拠がまったく成り立たないのは間違いない。

   記者:日本が釣魚島を不法占拠した時に出したもう一つの根拠とは、釣魚島は「無主地」だというものだが、歴史的事実は一体どうか。

   李副主任:大量の歴史的事実は、少なくとも明の時代から、釣魚島がとっくに「無主地」ではないことをはっきりと示している。明・清両時代の史籍には、釣魚島がはっきりと、明白に記録されている。1403年の『順風相送』から1534年の『使琉球録』まで、1562年の『重編使琉球録』から1629年の『皇明象胥録』まで、1683年の『使琉球雑録』から1802年の『使琉球記』まで……これらの歴史的文献は、中国人が最も早く釣魚島を発見、命名し、中国が早くから釣魚島の唯一の主人となっていたことを証明するのに十分である。

   1884年、日本人の古賀辰四郎が初めて釣魚島に上陸し、日本政府は釣魚島が「清国の属島」という既成事実を顧みず、釣魚島「発見」という山高帽子〈栄誉〉を自分の頭にかぶせた。実際、このいわゆる「発見」は、中国の発見より少なくとも約500年遅い。続いて、日本人はひそかに中身をすり替え、「無主地」を「無人島」で置き替えて、躍起になって釣魚島が「無主地」であるという仮象を作り上げようとした。国際法は、先占の「対象は、いかなる国にも属さない土地だけに限る」ことを教えている。国際法はまた、「不法行為は合法的な権利を生まない」ことも教えている。中国が釣魚島の主権の地位を確立した歴史的経緯は、非常にはっきりしている。

   記者:日本は「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」などの国際法文書の履行を約束したことがあるのか。

   李副主任:日本は国際法文書の履行を公の場で約束したことには、確かな証拠がある。1945年8月15日、日本政府は「ポツダム宣言」の受諾を宣言し、無条件降伏した。9月2日、日本政府は「降伏文書」の第1条と第6条の中で、「『ポツダム』宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スル」と宣言した。これにより、釣魚島は台湾の付属島嶼として、台湾と一緒に中国に返還された。日本は降伏文書の中で約束したが、実際には実行せず、逆に不法な「サンフランシスコ講和条約」をねじ曲げて解釈し、愚かにも釣魚島を自分のものにすることをたくらんだ。今回の日本政府のいわゆる「国有化」のための島購入は、中国人民の感情をひどく傷つけ、中国の釣魚島の主権を著しく侵害した。釣魚島の侵略・占領という行為を日本の思いどおりにさせるならば、それは実際には世界の反ファシズムの成果に対する挑戦であり、世界の反ファシズムの成果を徹底的に否定することになる。

(北京9月22日発新華社)