中国は南中国海における中国とフィリピンの紛争の話し合いによる解決を堅持する
2016/07/13
 

前書き

1.南中国海は中国大陸の南にあり、狭い海峡や水道を通って東は太平洋、西はインド洋につながる、北東から南西へ向かう半閉鎖海である。南中国海は北は中国大陸と台湾島を背にし、南はカリマンタン島とスマトラ島につながり、東はフィリピン諸島に面し、西は中南半島(インドシナ半島)とマレー半島に接する。

2.中国の南中国海諸島には東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島と南沙諸島が含まれる。これらの諸島は数がまちまちで大小が異なる島嶼、礁(サンゴ礁や岩礁など)、灘(浅瀬)、沙などからなる。そのうち、南沙諸島の島嶼礁は最も多く、範囲も最も広い。

3.南中国海における中国人民の活動はすでに2000年以上の歴史がある。中国は南中国海諸島および関係海域を最も早く発見し、命名し、また開発利用し、南中国海諸島および関係海域に対する主権と管轄を最も早くかつ継続的、平和的、実効的に行使してきた。南中国海諸島に対する中国の主権と南中国海における関係権益は長い歴史の過程で形成し確立されたものであり、十分な歴史的、法理的根拠を有している。

4.中国とフィリピンは海を隔てて向かい合っており、交流は密接で、人民は代々にわたって友好を保ってきて、もともと領土と海洋の境界画定の紛争はなかった。しかし、1970年代から、フィリピンは南沙諸島の一部の島嶼礁を不法に侵略占領し始め、中比の南沙諸島の一部島嶼礁における領土問題を引き起こした。その他に、国際海洋法の発展につれ、両国は南中国海の一部の海域で海洋境界の画定についても紛争が発生した。

5.中比両国は南中国海をめぐる紛争解決を目的とするいかなる話し合いもまだ行っていないが、これまで確かに海上紛争を適切に処理するために何度も協議を行い、話し合いと協議を通じて関係紛争を解決することについて共通認識に達し、また二国間文書において幾度となく確認している。双方はまた中国とASEAN諸国が2002年に共同署名した『南中国海における関係国の行動宣言』(以下、『宣言』と略す)において話し合いと協議を通じて関係紛争を解決することについて厳かに承諾した。

620131月、当時のフィリピン共和国政府は上述の共通認識と承諾に違反し、南中国海仲裁を一方的に申し立てた。フィリピンはもともと『海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)』(以下、『条約』と略す)の調整範囲ではない領土問題、および中国が2006年に『条約』第298条に基づき行った除外宣言によって除外された海洋境界画定などの紛争を歪曲、粉飾し、『条約』の紛争解決メカニズムに乱用をもたらした。フィリピンはそれによって南中国海における中国の領土主権と海洋権益を否定しようとたくらんだ。

7.本文書の目的は中比の南中国海をめぐる紛争の事実と真相を元に戻し、南中国海問題における中国の一貫した立場と政策を重ねて表明し、歴史的根源を明らかにし、事実が正確に理解されることを保証することにある。

一、南中国海諸島は中国の固有の領土である

(一)南中国海諸島に対する中国の主権は歴史的に確立されたものである

8.中国人民は昔からずっと南中国海諸島と関係海域で生活し、生産活動に従事している。中国は南中国海諸島および関係海域を最も早く発見し、命名し、また開発利用してきた。南中国海諸島および関係海域に対して主権と管轄を最も早くかつ継続的、平和的、実効的に行使し、南中国海諸島に対する主権と南中国海における関係権益を確立した。

9.早くも紀元前2世紀の前漢の時代において、中国人民はすでに南中国海を航行し、また長期にわたる実践の中で南中国海諸島を発見した。

10.中国の歴史的古書、例えば後漢の『異物誌』、三国時代の『扶南伝』、宋代の『夢梁録』と『嶺外代答』、元代の『島夷誌略』、明代の『東西洋考』と『順風相送』、清代の『指南正法』と『海国聞見録』などは、南中国海における中国人民の活動を記載しているだけでなく、南中国海諸島の地理的位置と地形の特徴、南中国海の水文と気象の特徴も記録し、南中国海諸島に「漲海崎頭」「珊瑚洲」「九乳螺洲」「石塘」「千里石塘」「万里石塘」「長沙」「千里長沙」「万里長沙」など多くの生き生きとした豊かなイメージを持った名称をつけた。

11.中国の漁民は南中国海を開発利用した歴史的過程において、かなり固定化された南中国海諸島に対する命名体系を形作った。例えば、島嶼と砂洲を「峙」と称し、礁を「鏟」「線」「沙」と称し、環礁を「匡」「圏」「塘」と称し、暗沙(サンゴ島)を「沙排」などと称している。明清時代に作成された『更路簿』は中国漁民が中国の大陸沿海地域と南中国海諸島の間を往来する航海案内書であり、多種の写本が伝わり、現在でも使用されており、中国人民の南中国海諸島における生活と生産開発の活動を記録し、中国漁民による南中国海諸島に対する命名を記載している。そのうち、南沙諸島の島、礁、灘、沙に対する命名は少なくとも70余カ所に達していて、羅針盤の方位名によって命名されているものがあり、例えば「丑未」(渚碧礁)、「東頭乙辛」(蓬勃暗沙)がそれである。その特産物によって命名された名称もあり、例えば「赤瓜線」(赤瓜礁)、「墨瓜線」(南屏礁)がそれである。また島嶼礁の形状により命名されたものである「鳥串」(仙蛾礁)、「双担」(信義礁)、ある種の実物によって命名した「鍋蓋峙」(安波沙洲)、「秤鈎峙」(景宏島)、水道によって命名された「六門沙」(六門礁)などもある。

12.南中国海諸島に対する中国人民の命名の一部は、西洋の航海者に引用され、また1920世紀の権威ある航海案内書と海図に表記されている。例えばNamyit(鴻庥島)、Sin Cowe(景宏島)、Subi(渚碧礁)は海南方言の発音の「南乙」「秤鈎」と「丑未」に由来するものである。

13.数多くの歴史的文献と文物資料が証明しているように、中国人民は南中国海諸島および関係海域に対して絶え間ない開発と利用を行ってきた。明清時代以来、中国の漁民は毎年北東の季節風を利用して南下し、南沙諸島海域で漁業生産活動に従事し、翌年には南西の季節風を利用して大陸に引き返す。また一部の中国漁民は一年中、島に留まり、漁獲を行い、井戸を掘って水を汲み、開墾して作付けを行い、住居を構え廟を建て、家禽や家畜を飼育するようになった。国内外の史料の記載と考古学の発見によると、南沙諸島の一部の島嶼礁上にはかつて中国漁民が残した農作物、井戸、家屋、廟宇、お墓と石碑などがあった。

14.数多くの外国文献には長期にわたって中国人だけが南沙諸島で生産し生活していた事実が記録されている。

151868年に出版された英国海軍作成の『中国海水路誌』は、南沙の鄭和群礁について言及した際、「海南の漁民は、ナマコ、貝類を捕って生計を立てており、各島には全て彼らの足跡が残り、また島嶼礁に住み着いている者もいる」、「太平島の漁民は他の島の漁民より生活がより快適で、太平島の井戸水は他の島より水質が良い」と記載している。1906年に出版された『中国海水路誌』および1912年、1923年、1937年などの各版の『中国航海誌』には多くの箇所で中国漁民が南沙諸島で生産生活していることを記載している

1619339月にフランスで出版された雑誌『彩色植民地世界』は次のように記している。南沙諸島の9つの島には中国人(海南人)だけが住んでいて、中国人以外に他国の人はいない。当時、西南島(南子島)には計7人の住民がいて、そのうち子供は2人。帝都島(中業島)には計5人の住民がいる。スプラトリー島(南威島)には計4人の住民がおり、1930年の時よりも1人増えている。ロアイタ島(南鑰島)には中国人が残した神座、茅屋、井戸があり、イツアバ島(太平島)には人跡がなかったが、中国文字のあるの碑があり、その大意は食糧をここに運んできたが、人が見つからなかったため、それをブリキ(フランス語原文は石となっている)の下に置いた。その他の各島でも、至る所で漁民が居住した形跡がある。この雑誌はまた、太平島、中業島、南威島などの島嶼は植生が繁茂し、飲用できる井戸があり、椰子の木、バナナの木、パパイヤの木、パイナップル、パクチョイ、ジャガイモなどが植えられていて、家禽を飼育し、人が住むのに適している、と記載している。

171940年に出版された日本の文献『暴風の島』や1925年に米国海軍水路測量局が発行した『アジア水域航行案内』(第4巻)なども南沙諸島での中国漁民の生産生活の状況を記載している。

18.中国は南中国海諸島および関係の海上活動を最も早くから始め、継続して管理している国である。歴史上、中国は行政区画の設置と統治、水軍巡視、資源開発、天文測量、地理調査などの手段を通じて、南中国海諸島と関係海域に対して継続的、平和的、実効的な管轄を行ってきた。

19.例えば、宋代、中国は広東広西地区に経略安撫使を設け、中国の南部国境を統治した。宋代の曾公亮は『武経総要』の中で中国が南中国海の海防を強化するために、海洋をパトロールする水軍を設立し、南中国海を巡視したことに言及している。清代の明誼が編纂した『瓊州府誌』、鐘元棣が編纂した『崖州誌』などの著作はすべて「石塘」「長沙」を「海防」の条項に組み入れている。

20.『広東通誌』『瓊州府誌』『万州誌』など中国の政府が編纂した多くの地方誌には、「彊域」あるいは「輿地山川」という条項の中に「万州に千里長沙、万里石塘有り」、あるいは類似の記載がある。

21.中国の歴代政府はまた政府発行の地図上において南中国海諸島を中国の領土として標示している。1755年の『皇清各直省分図』の『天下総輿図』、1767年の『大清万年一統天下図』、1810年の『大清万年一統地理全図』、1817年の『大清一統天下全図』などの地図はいずれも南中国海諸島を中国の版図に組み入れている。

22.歴史の事実が表明しているように、中国人民はずっと、南中国海諸島と関係海域を生産と生活の場所とし、各種の開発利用活動に従事してきている。中国の歴代政府も南中国海諸島に対して継続的、平和的、実効的な管轄を実施している。長い歴史の過程において、中国は南中国海諸島に対する主権と南中国海における関係権益を確立し、中国人民は早くから南中国海諸島の主(ぬし)となっていた

(二)中国はあくまでも南中国海における領土主権と海洋権益を断固守る

23.南中国海諸島に対する中国の主権は20世紀までいかなる挑戦も受けなかった。20世紀の30年代から40年代まで、フランスと日本は前後して武力で中国の南沙諸島の一部の島嶼礁を不法に侵略し占領した。それに対し、中国人民は奮い立って抵抗し、当時、中国政府も一連の措置をとり、南沙諸島に対する主権を守った。

241933年、フランスは南沙諸島の一部の島嶼礁に侵入し、官報で「占領した」と宣言し、「9つの小島事件」を起こした。それは中国の各地各界の強烈な反響を引き起こし、みんなでいっせいに抗議し、フランスの侵略行為に対する非難の声が続々と上がった。南沙諸島に居住していた中国漁民も現地で抵抗し、符洪光、柯家裕、鄭蘭錠らは太平島、北子島、南威島、中業島などの島でフランスの国旗を掲げている旗竿を切り倒した。

25.「9つの小島事件」が発生した後、中国外交部のスポークスマンは、南沙諸島の関係島嶼には「わが国の漁民だけが居住し、国際的にも中国の領土だと認められている」と表明し、フランスが9つの小島に侵入したことに対して中国政府は厳重に抗議した。同時に、広東省政府はフランスが中国漁民を惑わしだまし、フランス国旗を掲げさせたことに対して、各県の県長に布告を出すように命令し、南沙諸島および関係海域で作業する中国漁船が外国の国旗を掲げることを禁止し、また漁民に中国国旗を配り、掲げるよう要求した。

26.外交部、内政部と海軍部などの部門によって構成された水陸地図審査委員会は、中国の南中国海諸島の各島嶼、礁、灘、沙の名称を特に審査して決定し、また1935年に『中国南中国海各島嶼図』を編纂出版し、公布した。

27.日本は中国侵略戦争の期間、かつて中国の南中国海諸島を不法に侵略し占領したことがある。中国人民は日本の侵略に対して勇敢に抵抗した。世界反ファシズム戦争と中国人民抗日戦争が推進され、中米英の三カ国は194312月に『カイロ宣言』を発表し、日本は盗み取った中国の領土を中国に返還しなければならないと厳粛に言い渡した。19457月、中米英の三カ国は『ポツダム宣言』を発表し、そのうちの第8条で「『カイロ宣言』の条件は必ず実施されなければならない」と明確に規定した。

2819458月、日本は『ポツダム宣言』の無条件降伏を受け入れると宣言した。194611月から12月まで、中国政府は林遵大佐らの軍隊と政府の高官を派遣し、「永興」「中建」「太平」「中業」の4隻の軍艦に乗って、それぞれ西沙諸島と南沙諸島へ赴き、儀式を行い、改めて主権碑を立て、軍隊を派遣し駐屯守備させた。その後、中国政府は以上の4隻の軍艦名を用いて西沙諸島と南沙諸島の4つの島嶼に対して新たに命名した。

2919473月、中国政府は太平島に南沙諸島管理処を設け、広東省の管轄下に置いた。中国はまた太平島で気象台とラジオ放送局を設置し、6月から対外的に気象情報を放送し始めた。

30.南中国海諸島に対して新たに地理測量と地図作製を行った上で、中国政府は1947年に『南中国海諸島地理誌略』を編纂し、『南中国海諸島新旧名称対照表』を審査して決め、南中国海断続線を標記した『南中国海諸島位置図』を制作した。19482月、中国政府は『南中国海諸島位置図』を含む『中華民国行政区域図』を公布した。

3119496月、中国政府は『海南特区行政長官公署組織条例』を公布し、「海南島、東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島およびその他の付属島嶼」を海南特区に組み入れた。

32.中華人民共和国が1949101日に成立した後、何度も重ねて主権を表明し、また立法、行政区画の設置と統治、外交交渉などの措置を講じて南中国海諸島に対する主権と南中国海における関係権益をよりいっそう擁護した。中国の南中国海諸島および関係海域に対するパトロール法執行、資源開発と科学調査などの活動は一度も中断したことがない。

3319518月、中国外交部長の周恩来は『米英の対日講和条約案及びサンフランシスコ会議に関する声明』を発表し、「実は、西沙諸島と南威島は、南沙諸島、中沙諸島および東沙諸島と全く同じように、これまでずっと中国の領土である。日本帝国主義が起こした侵略戦争期間、一時陥落したが、日本降伏後、当時の中国政府はそれを全部接収したのである。」「中華人民共和国の南威島と西沙諸島における犯すことのできない主権は、米英の対日講和条約案に規定の有無にかかわらず、またどのように規定されていようが、なんら影響を受けるものではない」と指摘した。

3419589月、中国は『領海に関する中華人民共和国政府声明』を発表し、中国の領海の幅員は12カイリとし、直線基線の方法を採用して領海の基線を確定し、上記の規定は「東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島およびその他の中国に所属する島嶼」を含む中華人民共和国の一切の領土に適用する、と明確にした。

3519593月、中国政府は西沙諸島の永興島に「西南沙中沙諸島事務所」を設立した。19693月、同「事務所」を「広東省西沙中沙南沙諸島革命委員会」と改称した。198110月、「西沙南沙中沙諸島事務所」という名称を回復させた。

3619834月、中国地名委員会は授権されて南中国海諸島の一部の標準地名、計287カ所を公布した。

3719845月、第六期全国人民代表大会第二回会議は海南行政区の設立を決定し、管轄範囲には西沙諸島、南沙諸島、中沙諸島の島嶼礁およびその海域を含むとした。

3819884月、第七期全国人民代表大会第一回会議は海南省の設立を決定し、管轄範囲には西沙諸島、南沙諸島、中沙諸島の島嶼礁およびその海域を含むとした

3919922月、中国は『中華人民共和国領海及び接続水域法』を公布し、中国の領海と接続水域の基本的法律制度を確立し、また「中華人民共和国の陸地領土は……東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島およびその他の中国に属する一切の島嶼を含む」と明確に規定した。1996年5月、第八期全国人民代表大会常務委員会第十九回会議は『海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)』の批准を決定し、同時に「中華人民共和国は1992年2月25日に公布した『中華人民共和国領海及び接続水域法』の第2条に列記した各諸島および島嶼に対する主権を重ねて言明する」と声明した。

4019965月、中国政府は中国大陸沿海の山東省高角から海南島峻壁角までの49の領海基点と直線でつながる領海基線、および西沙諸島の28の領海基点と直線でつながる基線を公布し、またその他の領海基線を別途公布すると宣言した。

4119986月、中国は『中華人民共和国排他的経済水域及び大陸棚法』を公布し、中国の排他的経済水域と大陸棚の基本的法律を確立し、また「本法の規定は中華人民共和国が享有する歴史的権利に影響しない」と明確に規定した。

4220126月、国務院は海南省西沙南沙中沙諸島事務所を廃止し、地区クラスの三沙市を設置し、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の島嶼礁およびその海域を管轄することを批准した。

43.中国は南中国海の生態と漁業資源の保護を非常に重視している。1999年から、中国は南中国海で夏季休漁制度を実施している。2015年末現在、中国は南中国海で国家レベルの水生生物自然保護区6カ所、省レベルの水生生物自然保護区6カ所を設けていて、総面積は269万ヘクタールに達している。国家レベルの水産生殖資質源保護区7カ所を設置し、総面積は128万ヘクタールにのぼっている。

441950年代から、中国の台湾当局はずっと南沙諸島の太平島に駐屯し守備している。民事サービス管理機構も設置されていて、島の自然資源の開発利用も行っている

(三)南中国海諸島に対する中国の主権は国際社会で広く認められている

45.第二次世界大戦終結後、中国は南中国海諸島を取り戻し、主権の行使を回復し、世界の数多くの国は南中国海諸島が中国の領土であることを認めている。

461951年、サンフランシスコ対日講和会議は、日本が南沙諸島と西沙諸島に対する全ての権利、権原および請求権を放棄すると規定した。1952年、日本政府は台湾、澎湖列島および南沙諸島、西沙諸島に対する全ての権利、権原および請求権を放棄すると正式に表明した。同年、当時の日本の外相であった岡崎勝男自らが署名し推薦した『標準世界地図集』の第15図『東南アジア』の中には、『サンフランシスコ講和条約』で、日本が放棄しなければならないと規定された西沙、南沙諸島および東沙、中沙諸島の全てが中国に属すと標示されている。

47195510月、国際民間航空機関(ICAO)はマニラで会議を開き、米国、英国、フランス、日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、南ベトナムと中国の台湾当局が代表を派遣して出席し、フィリピンの代表は会議の議長、フランスの代表は副議長であった。会議で採択された第24号決議において中国の台湾当局が南沙諸島で気象観測を強化することを要求した。これに対して会議ではいかなる代表も異議あるいは留保を提起しなかった。

48195894日、中国政府は『領海に関する中華人民共和国政府声明』を発表し、中国の領海の幅員は12カイリであると宣言し、また「以上の規定は中華人民共和国の一切の領土に適用し、……東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島およびその他の中国に属する島嶼を含む」と明確に指摘した。914日、ベトナムのファムヴァンドン首相は中国の周恩来国務院総理に送った覚書で、「ベトナム民主共和国政府は中華人民共和国政府の195894日の領海決定に関する声明を認め、これに賛同する」、「ベトナム民主共和国政府はこの決定を尊重する」と厳かに表明した。

4919568月、米国の台湾駐在機構のドナルドウェブスター一等書記官は中国の台湾当局に対し、米国の軍人が黄岩島、双子群礁、景宏島、鴻庥島、南威島などの中沙、南沙諸島の島嶼礁で地形測量を行うつもりだと口頭で申請した。中国の台湾当局はその後、米国の申請に同意した。

50196012月、米国政府は中国の台湾当局に、書簡で米軍の人員が南沙諸島の双子群礁、景宏島、南威島で実地測量することの「許可申請」をした。中国の台湾当局は米国の上述の申請に同意した。

511972年、『中華人民共和国政府と日本国政府の共同声明』の中で日本は『ポツダム宣言』第8条の規定の順守を堅持すると重ねて表明した。

52.フランス通信社(AFP)の報道によれば、197424日、当時のインドネシア外相のアダムマリクは、「もしわれわれが現在発行されている地図を見てみれば、その図にあるパラセル諸島(西沙諸島)とスプラトリー諸島(南沙諸島)は全て中国に属していることがわかる」。われわれは一つの中国しか承認していないので、「これはわれわれにとって、これらの諸島が中華人民共和国に属していることを意味している」と表明した。

531987317日から41日まで開催された、ユネスコ政府間海洋学委員会(UNESCO/IOC)第14回会議は、当該委員会の事務局が提出した『全球海面水位観測システム実施計画19851990』(IOC/INF663REV)について討議した。当該文書は西沙諸島と南沙諸島を全球海面水位観測システムに組み込むよう提言し、またこの二諸島は「中華人民共和国」に属すると明文化している。当該計画を執行するために、中国政府は南沙諸島と西沙諸島上の各1つを含む、5つの海洋観測ステーションを建設することを委任された。

54.南中国海諸島が中国に属するということは早くに国際社会の普遍的な認識になっている。多くの国で出版された百科事典、年鑑と地図は全て南沙諸島を中国に属すると標記している。例えば、1960年アメリカのワールドマーク出版社が出版した『ワールドマーク諸国百科事典』、1966年日本の極東書店が出版した『新中国年鑑』、1957年、1958年と1961年にドイツ連邦共和国で出版された『世界大地図集』、1958年にドイツ民主共和国で出版された『地球と地理地図集』、1968年にドイツ民主共和国で出版された『ハク世界大地図集』、1954年から1959年までソ連で出版された『世界地図集』、1957年にソ連で出版された『外国行政区域区分』付図、1959年にハンガリーで出版された『世界地図集』、1974年にハンガリーで出版された『図解本世界政治経済地図集』、1959年にチェコスロバキアで出版された『ポケット世界地図集』、1977年にルーマニアで出版された『世界地理図集』、1965年にフランスのラルース出版社が出版した『国際政治経済地図集』、1969年にフランスのラルース出版社が出版した『ラルース現代地図集』、日本の平凡社が1972年と1983年に出版した『世界大百科事典』の付図と1985年に出版した『世界大地図集』、および1980年に日本の国土地理協会が出版した『世界とその国々』の付図などがそれである。

二、中比の南中国海をめぐる紛争の経緯

55.中比の南中国海をめぐる紛争の核心はフィリピンが中国の南沙諸島の一部島嶼礁を不法に侵略し占領したことによって引き起こされた領土問題である。その他に、国際海洋法の制度の発展に伴い、中比には一部の海域において海洋境界画定の紛争も発生している。

(一)フィリピンによる不法な侵略占領が中比の南沙島嶼礁紛争を発生させた

56.フィリピンの領土範囲は1898年の『米西(米国スペイン)パリ平和条約』(『パリ条約』)、1900年の『米西両国のフィリピンの離島割譲に関する条約』(『ワシントン条約』)、1930年の『英領北ボルネオと米領フィリピンの境界画定に関する条約』(『英米条約』)など一連の国際条約によって定められたものである。

57.中国の南中国海諸島はフィリピンの領土の範囲外にある。

581950年代、フィリピンは中国の南沙諸島を手に入れようとたくらんだ。しかし、中国の断固たる反対の下、フィリピンは活動を停止した。19565月、フィリピン人のトーマスクロマは探検隊を率いて南沙諸島に上陸し、中国の南沙諸島の一部島嶼礁を勝手に「フリーダムランド」と称した。その後、フィリピン副大統領兼外相のカルロスポレスティコガルシアは、クロマの活動に支持を表明した。これに対し、中国外交部のスポークスマンは529日に声明を発表し、南沙諸島は「従来から中国領土の一部である。中華人民共和国はこれらの島嶼に対し争う余地のない合法的な主権を有する……いかなる国のいかなる口実、いかなる方法による侵犯も決して許さない」と厳正に指摘した。同時に、中国の台湾当局は軍艦を派遣し、南沙諸島を巡航し、南沙諸島の太平島での駐屯守備を再開した。その後、フィリピン外交部が、フィリピン政府はクロマのこの行いについて事前にその事情を知らず、同意もしていないと表明した。

591970年代から、フィリピンは前後して、武力行使により中国南沙諸島の一部島嶼礁を侵略、占領し、不法な領土主張を提起した。1970年の8月と9月に、フィリピンは馬歓島と費信島を不法に侵略し占領した。19714月、フィリピンは南鑰島と中業島を不法に侵略、占領した。19717月、フィリピンは西月島と北子島を不法に侵略し占領した。19783月と19807月、フィリピンは双黄沙洲と司令礁を不法に侵略し占領した。19786月、フィリピンのフェルディナンドマルコス大統領は大統領令第1596号に署名し、中国南沙諸島の一部島嶼礁および周辺の広範囲の海域を「カラヤーン諸島」(「カラヤーン」はタガログ語で「フリーダム」の意味)と名付け、「カラヤーン地方」を画定し、不法にフィリピン領土の範囲に組み入れた。

60.フィリピンはまた国内での一連の立法により、自らの領海、排他的経済水域、大陸棚などの主張を提起した。そのうちの一部は南中国海における中国の権益に抵触する。

61.フィリピンは中国南沙諸島の一部島嶼礁を不法に侵略し占領した事実を隠し、領土拡張の野望を実現するために、次のような一連の口実をでっち上げた。「カラヤーン諸島」は南沙諸島に属さず、「無主地」である。南沙諸島は第二次世界大戦後は「信託統治地域」である。フィリピンが南沙諸島を占領したのは「地理的近接性」に依拠し、「国家の安全保障」のための必要である。「南沙諸島の一部島嶼礁はフィリピンの排他的経済水域と大陸棚に位置する」。フィリピンが関係島嶼礁を「実効支配」していることは変えることのできない「現状」となっている

(二)フィリピンの不法な主張には歴史的、法理的根拠が全くない

62.歴史と国際法から見れば、フィリピンの南沙諸島の一部島嶼礁に対する領土主張には全く根拠がない。

63.第一に、南沙諸島はいまだかつてフィリピンの領土の構成部分であったことはない。フィリピンの領土範囲は一連の国際条約によって確定されている。これについては当時フィリピンの統治者であった米国はよく知っている。1933812日、米領フィリピンの前元老院(上院)議員イサベロロスレイエスが米国駐フィリピン総督のフランクマーフィーに書簡を送り、地理的近接性を理由に一部の南沙島嶼がフィリピン諸島の一部分であると主張しようとした。関係書簡は米国陸軍省と国務省に転送され処理された。1933109日、米国国務長官は返信で、「これらの島嶼は……早くも1898年にスペインから獲得したフィリピン諸島の境界外にある」と指摘した。19355月、米国陸軍長官ジョージヘンリーダーンはコーデルハル国務長官に書簡を出し、フィリピンが提出した南沙諸島の一部島嶼に対する領土要求の「合法性と妥当性」について、国務省の意見を求めた。米国国務省歴史顧問室のボーグスが署名した覚書では、「米国としては関係島嶼がフィリピン諸島の一部分であると主張することは明らかに全く根拠がないのだ」と指摘している。820日、ハル国務長官はダーン陸軍長官に返信し、「米国が1898年の条約に基づき、スペインから獲得したフィリピン諸島の島嶼は第三条で規定された境界内にとどまる」と指摘し、同時に南沙諸島の関係島嶼に関して、「指摘すべきなのは、スペインがこれらの島嶼のいずれに対しても主権を行使、あるいは主権の主張を提起したといういかなる形跡もないことである」と述べた。これらの文書は、フィリピンの領土にはいまだかつて南中国海諸島が含まれたことがなく、この事実は米国を含む国際社会が認めていることを証明している。

64.第二に、「カラヤーン諸島」がフィリピンが発見した「無主地」だという説は全く成り立たない。フィリピンはその国民が1956年にいわゆる「発見」したということに基づき、中国の南沙諸島の一部島嶼礁を「カラヤーン諸島」と名付け、地理名称と概念上の混乱を引き起こし、南沙諸島を分割することをたくらんだ。実際のところ、南沙諸島の地理的範囲は明らかではっきりしており、フィリピンのいわゆる「カラヤーン諸島」がすなわち中国の南沙諸島の一部なのである。南沙諸島は早くから中国領土の切り離すことができない一部分となっていて、決して「無主地」ではない。

65.第三に、南沙諸島はいわゆる「信託統治地域」でもない。フィリピンは、第二次世界大戦後の南沙諸島は「信託統治地域」で、主権が未定だと言う。フィリピンの言い方は法律的にも事実から見ても根拠がない。第二次世界大戦後の「信託統治地域」は、関係国際条約あるいは国連の信託統治理事会の関連書類に明記されていて、南沙諸島はいまだかつて上述のリストに記載されたことはなく、全く「信託統治地域」などではない。

66.第四に、「地理的近接性」と「国家の安全保障」はいずれも領土取得の国際法上の根拠ではない。世界の多くの国の領土の一部は本国から遠く離れ、他国の沿岸に位置するものさえある。米国がフィリピンを植民統治していた期間に、フィリピン諸島付近の一つの島の主権をめぐってオランダとの紛争が発生した。米国が「地理的近接性」を理由に提起した領土主張は国際法上の根拠がないと判定された。いわゆる「国家の安全保障」を理由に他国を侵略占領することはもっとでたらめなことである

67.第五に、フィリピンは、中国南沙諸島の一部島嶼礁が排他的経済水域と大陸棚の範囲内にあるから、関係島嶼礁はフィリピンに属す、あるいはフィリピンの大陸棚の一部分になると称する。この主張は『条約』が賦与している海洋の管轄権をもって中国の領土主権を否定しようとたくらむもので、「陸が海を支配する」という国際法の原則に背くものであり、『条約』の主旨と目的に全く適合しない。『条約』の序では、「全ての国の主権に妥当な考慮を払いつつ海洋の法的秩序を確立する……」と規定されている。従って、沿岸諸国は他国の領土主権を尊重するという前提の下で、海洋の管轄権を主張しなければならず、自らの海洋の管轄権を他国の領土にまで拡張してはならず、ましてやそれによって他国の主権を否定し、他国の領土を侵犯してはならない。

68.第六に、フィリピンのいわゆる「実効支配」は不法な侵略占領によって確立したもので、違法で無効である。国際社会は、武力行使による侵略占領で形成されたいわゆる「実効支配」を認めない。フィリピンのいわゆる「実効支配」は中国南沙諸島の一部島嶼礁に対する赤裸々な武力による侵略と占領で、『国連憲章』(以下『憲章』と略す)と国際関係の基本準則に背いていて、国際法で明確に禁止されている。不法な侵略占領に基づくフィリピンのいわゆる「実効支配」の確立は、南沙諸島が中国の領土であるという基本的な事実を変えることはできない。中国はいかなる人であれ南沙諸島の一部島嶼礁が侵略占領された状態を「既成事実」、あるいは「現状」と見なそうとすることに断固として反対し、これを決して認めない。

(三)国際海洋法の制度の発展が中比の海洋境界画定紛争を招いた

69.『条約』の制定と発効に伴い、中国とフィリピン間の南中国海をめぐる紛争が逐次激化してきた。

70.中国人民と中国政府の長きにわたる歴史的実践とこれまでの中国政府の一貫した立場、1958年の『領海に関する中華人民共和国政府声明』、1992年の『中華人民共和国領海及び接続水域法』、1996年の『中華人民共和国全国人民代表大会常務委員会の「国連海洋法条約」の批准に関する決定』、1998年の『中華人民共和国排他的経済水域及び大陸棚法』、1982年の『海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)』などを含む国内法と国際法に基づき、中国の南中国海諸島は内水、領海、接続水域、排他的経済水域、大陸棚を有する。この他に、中国は南中国海において歴史的な権利を有している。

71.フィリピンの1949年の共和国法第387号、1961年の共和国法第3046号、1968年の共和国法第5446号、1968年の大統領布告370号、1978年の大統領令1599号、2009年の共和国法第9522号などの法律に基づき、フィリピンは内水、群島水域、領海、排他的経済水域、大陸棚を公表した。

72.南中国海では、中国の陸地領土の海岸とフィリピンの陸地領土の海岸は向かい合っていて、その距離は400カイリに満たない。両国が主張する海洋の権益区域が重なり合っている故に、海洋境界画定の紛争が発生している。

三、中比は南中国海をめぐる紛争の解決について既に共通認識に達している

73.中国は断固として南中国海諸島の主権を守り、フィリピンが中国の島嶼礁を不法に侵略占領することに断固として反対し、フィリピンが一方的な主張により中国の管轄海域で権利を侵害する行動をとることに断固反対する。同時に、南中国海の平和安定を擁護するという大局から出発し、中国は高度な自制を保ち、中比の南中国海をめぐる紛争を平和的に解決することを堅持し、そのために、たゆまぬ努力を払っている。中国は海上における見解の相違を管理制御すること、実務的な協力を推進することなどについて、フィリピンと何度も協議を行い、双方は話し合いを通じて南中国海をめぐる紛争を解決し、見解の相違を適切に管理制御することで重要な共通認識に達した。

(一)話し合いにより南中国海をめぐる紛争を解決することは中比の共通認識であり約束である

74.中国は一貫して主権および領土保全の相互尊重、相互不可侵、相互の内政不干渉、平等互恵、平和共存の五原則に基づき、各国との友好関係を発展させることに努める。

7519756月、中比の関係が正常化し、両国は関係コミュニケで、両国政府が武力に訴えず、互いに武力よる威嚇を行わないことに同意し、あらゆる紛争を平和的に解決することを明確に指摘した。

76.実際のところ、中国の南中国海問題の解決における「紛争棚上げ、共同開発」という提議は、まずフィリピンに対して提起したものであった。19866月、中国の指導者の鄧小平がフィリピンのサルバドルラウレル副大統領と会見した際、南沙諸島は中国に属していると指摘し、同時に関係の紛争に対しては「この問題をまず棚上げし、しばらく放置する。数年たってから、われわれは席について、気持ちを落ち着けて冷静に各方面が受け入れることのできる方法について協議しよう。われわれはこの問題でフィリピンやその他の国との友好関係を妨げるようなことはしない」と表明した。19884月、鄧小平はフィリピンのコラソンアキノ大統領と会見した際、「南沙諸島問題に対しては、中国は最も発言権を持っている。南沙は歴史的に中国の領土で、長い間、国際的に異議がなかった」、「両国の友好関係から出発し、この問題はまず棚上げし、共同開発の方法を採用しよう」と重ねて表明した。その後、中国は南中国海をめぐる紛争の処理および南中国海の周辺諸国との二国間関係を発展させる問題において、鄧小平の「主権は中国に属し、紛争を棚上げし、共同開発をする」という思想をずっと貫いている。

771980年代以来、中国は話し合いによって中比の南中国海をめぐる紛争を管理制御解決することについて一連の主張と提案を打ち出し、南沙諸島に対する主権、南中国海をめぐる紛争を平和的に解決する立場と、「紛争棚上げ、共同開発」の提案を何度も重ねて表明し、外部勢力の介入に明確に反対し、南中国海問題の国際化に反対し、紛争で両国関係の発展に影響をもたらすべきではないことを強調した

7819927月、マニラで開催された第25ASEAN外相会議で、『南中国海問題に関するASEAN宣言』が発表された。中国はこの宣言で述べられている関係の原則に賛成の意を表した。中国は話し合いによって、南沙諸島の一部島嶼礁に関する領土問題を平和的に解決することを一貫して主張していて、武力に訴えることに反対し、条件が整えば、関係国と「紛争棚上げ、共同開発」について話し合いたいと考える

7919958月、中比は共同発表した『中華人民共和国及びフィリピン共和国の南中国海問題とその他の分野の協力に関する協議の共同声明』で、「紛争は直接関係する国によって解決されるべきである」、「双方は順を追って協力を推進していき、最終的に話し合いによって双方の紛争を解決することを約束する」旨を示した。その後、中国とフィリピンは一連の二国間文書を通じて、二国間の話し合いにより南中国海問題を協議解決するという共通認識を確認した。例えば19993月の『中国とフィリピン信頼醸成のワーキングチーム会議共同コミュニケ』、20005月の『中華人民共和国政府とフィリピン共和国政府の21世紀の二国間協力枠組みに関する共同声明』などがそれである。

80200211月、中国はASEAN10カ国と『南中国海各方面行為宣言(DOC)』(以下、『宣言』と略す)に共同で署名した。各国は『宣言』で、「1982年の『海洋法に関する国際連合条約』を含む公認の国際法原則にのっとり、直接的関係を有する主権国家が友好的な協議と話し合いにより、それらの領土と管轄権紛争を平和的に解決し、武力行使あるいは互いの武力による威嚇には訴えない」と厳かに誓約した。

81.その後、中比は一連の二国間文書を通じて、各自が『宣言』で行った厳かな誓約を確認した。20049月の『中華人民共和国政府とフィリピン共和国政府の共同プレスコミュニケ』、20119月『中華人民共和国政府とフィリピン共和国政府の共同声明』などがそれである。

82.上述の中比両国の一連の二国間文書および『宣言』の関係規定は中比が南中国海をめぐる紛争の解決について達成した以下の共通認識と誓約を体現している。第一、関連の紛争は直接的関係を有する主権国家の間で解決するべきである。第二、関連の紛争は平等と相互尊重に基づき、話し合いによって平和的に解決する。第三、直接的関係を有する主権国家は、1982年の『海洋法に関する国際連合条約』などの公認の国際法の原則に基づき、「最終的に話し合いによって双方の紛争を解決する」。

83.中比双方は話し合いによる紛争解決を何度も重ねて表明し、関連の話し合いは直接的な関係を有する主権国家が行うべきであると何度も強調していて、上述の規定は明らかにいかなる第三者による紛争解決方式も排除する効果が生まれている。とりわけ、1995年の共同声明では、「最終的に話し合いによって双方の紛争を解決する」ことが定められていて、この「最終的」という言葉は明らかに「話し合い」が双方が選んだ唯一の紛争解決の方法であり、第三者による紛争解決手順を含む他のあらゆる方法が排除されていることを強調するためのものである。上述の共通認識と誓約は両国間において、第三者による紛争解決の方法で中比の南中国海をめぐる紛争を解決することを排除する合意を構成している。この合意は必ず順守されなけばならない。

(二)南中国海をめぐる紛争を適切に管理制御することは中比間の共通認識である

84.中国は一貫して、各国が規則の制定、仕組みの完備、実務的な協力、共同開発などの方法で紛争を管理制御し、南中国海をめぐる紛争の最終的な解決に良好な雰囲気を作りだすことを主張している。

851990年代以来、中比は紛争の管理制御について一連の共通認識に達している。第一、関連の紛争の問題に関して自制を保ち、事態を拡大化する可能性のある行動をとらないこと。第二、二国間協議の仕組みを通じて、紛争を管理制御することを堅持すること。第三、海上の実務的な協力と共同開発の推進を堅持すること。第四、関連の紛争が二国間関係の健全な発展、南中国海地域の平和と安定に影響を与えないようにすること。

86.中比はまた、『宣言』において以下の共通認識に達した。自制を保ち、紛争を複雑化、拡大化し平和安定に影響する行動をとらない。領土と管轄権紛争を平和的に解決するまでは、協力と理解の精神に基づき、各種ルートを努力して探し相互信頼を醸成する。海洋の環境保全、海洋科学の研究、海上航行と交通安全、捜索救助、国際犯罪の取り締まりなどの分野における協力を検討あるいは展開する。

87.中比は見解の相違の管理制御、海上での実務的な協力の展開において好ましい進展を遂げた。

8819993月、中国とフィリピンは南中国海における信頼醸成に関するワーキングチーム設置の第一回会合を開催し、双方が発表した『中国とフィリピン信頼醸成のワーキングチーム会議共同コミュニケ』で「双方は『海洋法に関する国際連合条約』などの広く認められた国際法の原則に従い、協議を通じて紛争を平和的に解決することを誓約し、……双方は自制を保ち、事態の拡大化を招く可能性のある行動をとらない」と指摘した。

8920014月、中比が発表した『第三回信頼醸成に関する専門家チーム会議の共同プレス声明』では、「双方は、両国が南中国海の協力方法を検討するために構築した協議メカニズムが効果的で、両国が達成した一連の了解と共通認識が中比関係の健全化および南中国海地域の平和と安定に建設的な役割を果たしていることを認識した」と指摘している。

9020049月、中国とフィリピンの指導者が共に立ち合い、中国海洋石油総公司とフィリピン国家石油公司は『南中国海の一部海域における共同海洋地震作業の協議』に署名した。中比双方の同意を経て、20053月、中国、フィリピン、ベトナムの三カ国の国家石油会社は『南中国海の協定区域における三カ国共同海洋地震作業の協議』を締結した。三カ国の石油会社は三年の協定期間内に、約143千平方キロの海域の協定区域で、一定数量の2Dおよび、または3Dの地震測線を収集処理し、現存の一定数量の2D地震測線を再処理し、協定区域の石油資源の状況を研究評価することを取り決めた。2007年の『中華人民共和国とフィリピン共和国の共同声明』では、「双方は、南中国海における三カ国共同海洋地震作業が本区域の協力の手本となると考える。双方は、次の段階では三カ国の協力をより高いレベルに向上させ、本区域の相互信頼醸成の良好な情勢を強化することに同意した」と表明した。

91.遺憾なのは、フィリピン側が協力の意向に欠け、中比の信頼醸成のワーキングチーム会議が停滞状態に陥り、中国フィリピンベトナム三カ国の共同海洋地震探査作業も継続できなくなったことである

四、フィリピンはしばしば紛争を複雑化させる行動をとっている

921980年代から、フィリピンはしばしば紛争を複雑化させる行動をとってきた。

(一)フィリピンは中国の南沙諸島の一部の島嶼礁に対する侵略占領を拡大しようと企てている

931980年代から、フィリピンは不法に侵略占領した中国の南沙諸島の関係島嶼礁で軍事施設を建設し始めた。90年代には、フィリピンは不法に侵略占領した中国の南沙諸島の関係島嶼礁で飛行場と海軍空軍基地の建設を続け、大型輸送機、戦闘機の離着陸およびより多くのより大きな艦船が接岸できるようにするため、不法に侵略占領した中国の南沙諸島の中業島を重点として、引き続き関係島嶼礁で飛行場、兵営や埠頭などの施設を建設、整備した。フィリピンはわざと挑発行為をして、軍艦、飛行機を頻繁に派遣して中国の南沙諸島の五方礁、仙娥礁、信義礁、半月礁や仁愛礁に侵入し、中国が設置した測量標識をほしいままに破壊した。

94.それにも増してさらにひどいことには、199959日、フィリピンは57号戦車揚陸艦を派遣して中国の仁愛礁に侵入し、さらに「技術的故障による浅瀬乗り上げ」を口実に、仁愛礁で不法に「座礁」した。中国は直ちにフィリピンに厳重に抗議し、同艦を即座に撤去するよう要求した。だが、フィリピンは当該軍艦の「部品がない」ので撤去できないと称した。

95.これについて、中国は繰り返しフィリピンに対して申し立てをし、フィリピン側が同艦を撤去するよう再三要求した。例えば、199911月、駐フィリピン中国大使はフィリピンのドミンゴシアゾン外務長官とレオノーラヘースス大統領府秘書室長と時間を約して会見し、同艦が仁愛礁に不法に「座礁」していることについて再度申し立てを行った。フィリピンは同艦を仁愛礁から撤去することを何度も約束したが、ずっとそれを行動に移さずに先延ばしにしている。

9620039月、フィリピンが仁愛礁で不法に「座礁」した軍艦の周辺に施設を建設しようとしていることを知り、中国は直ちに厳重に抗議した。フィリピンのフランクリンエブダリン外務長官代行は、フィリピンは仁愛礁で施設を建設する考えはなく、フィリピンは『宣言』の署名国であり、最初の違反者になることはあり得ずまたなりたいとも思わないと表明した。

97.しかしながら、フィリピンは同艦を撤去するという承諾の履行を拒否したばかりか、それよりいっそうひどくなり、さらなる挑発行為を行った。フィリピンは20132月に不法に「座礁」している同艦の周囲に固定ロープを張り巡らし、艦上の人員は頻繁に活動し、固定施設を構築しようとした。中国の度重なる申し立ての下で、フィリピンのヴォルテールガズミン国防長官は、フィリピンはただ同艦に対し補給と補修を行うだけであると言い、仁愛礁で施設構築をしないと約束した。

982014314日、フィリピン外務省は声明を発表し、フィリピンが当時57号戦車揚陸艦を仁愛礁に「座礁」させたのは、まさに「同艦をフィリピン政府の恒久的施設として仁愛礁に配置する」ためであったと公然と言明した。これを口実に同艦を撤去するという承諾の履行を拒否し続け、さらには仁愛礁を侵略占領するという目的を達成することを企てた。これに対して中国はひどく驚き、またフィリピン側がいかなる形式であろうとも仁愛礁を侵略占領することは決して許さないと再度表明した。

9920157月、フィリピンはフィリピン側が仁愛礁で「座礁」した軍艦の補強を行っているとの声明を発表した。

100.フィリピンは軍艦を仁愛礁に「座礁」させ、撤去を承諾したにもかかわらず終始その誓約を破り、補強措置をとることに至り、自らの実際の行動をもってフィリピンこそ『宣言』に公然と違反した最初の国であることを証明した。

101.長きにわたって、フィリピンは不法に中国の南沙諸島の関係島嶼礁を侵略し占領し、さらに島嶼礁でさまざまな軍事施設を建設し、既成事実をでっちあげ、長期的に占有しようと企てている。フィリピンのすることなすことは、中国の南沙諸島の関係島嶼礁に対する主権を深刻に侵害し、『憲章』と国際法の基本的準則に甚だしく違反している。

(二)フィリピンはしばしば海上における権利侵害を拡大している

1021970年代から、フィリピンはその一方的な主張をよりどころとして、前後して中国の南沙諸島の礼楽灘や忠孝灘などの地に侵入して石油天然ガスの採掘を不法に行い、また関係エリアの対外入札募集も行った。

10321世紀に入ってから、フィリピンは対外入札募集の範囲を拡大し、中国の南沙諸島の関係海域に広域にわたって侵入した。2003年、フィリピンは中国の南沙諸島の広い範囲の関係海域を対外入札募集のエリアに決めた。20145月、フィリピンは第5回の石油天然ガス採掘の入札募集を行い、うち4つの入札募集エリアは中国の南沙諸島の関係海域に侵入したのである。

104.また、フィリピンは絶えず中国の南沙諸島の関係海域に侵入して、中国の漁民と漁船の正常な作業を妨害した。大まかな統計によると、1989年から2015年にかけて、上述の海域でフィリピンの不法侵入によって発生した中国の漁民の生命と財産の安全を侵害した事件は合計97件に達し、そのうち発砲事件が8件、強盗事件が34件、拘束事件が40件、追跡事件が15件であり、合計で中国の200艘近くの漁船、1000人以上の漁民が事件に巻き込まれた。また、フィリピンは中国の漁民を野蛮で、乱暴に扱い、彼らに非人道的扱いを加えた。

105.フィリピンの武装人員は中国の漁民の生命の安全をいつも無視し、武力を乱用している。例えば、2006427日、フィリピンの武装した漁船が中国の南沙諸島の南にある浅海域に侵入し、中国の「瓊瓊海03012」号漁船を攻撃した。フィリピン側の武装した一艇のボートと銃を所持した4人が中国の漁船に近づき、さらに漁船の操舵室に向かって射撃し続け、陳奕超ら4名の漁民がその場で死亡し、2人が重傷、1人が軽傷を負うという結果となった。その後、銃を所持した13人が強引に漁船に上がってきて強奪し、船上の衛星ナビゲーションと通信設備、漁具や漁獲物などを略奪した。

106.フィリピンは南中国海におけるその不法な主張の拡大を図るため、しばしばさまざまな海上における権利侵害行動をとり、中国の南中国海における主権と関連の権益をひどく侵害している。フィリピンの権利侵害行為は『宣言』の中における自制を保つこと、紛争を複雑化させ、拡大化させる行動をとらないということに関する誓約に対する深刻な違反である。フィリピンは中国の漁船と漁民を銃で攻撃し、強奪し、中国の漁民を不法に捕まえて拘留し、さらに彼らに非人道的な扱いを加え、中国の漁民の人身と財産の安全および人格の尊厳を著しく侵害し、基本的人権を公然と踏みにじった。

(三)フィリピンは中国の黄岩島に手を出そうとたくらんでいる

107.フィリピンはまた中国の黄岩島に対して領土要求を提出し、しかも不法な侵略占領をたくらんでいる。

108.黄岩島は中国の固有の領土であり、中国は継続的、平和的、かつ実効的に黄岩島に対する主権と管轄を行使している。

1091997年に至るまでは、フィリピンは黄岩島が中国に属することに対してなんらの異議も唱えず、その領土要求を提出したこともなかった。199025日、ビアンベニード駐ドイツフィリピン大使はドイツの無線愛好者のディターレフラーに手紙を送り、「フィリピン国土地理資源情報庁によれば、スカボロー礁あるいは黄岩島はフィリピンの領土主権の範囲内にはない」と語っている。

110.フィリピン国土地理資源情報庁が19941028日に発行した『フィリピン共和国の領土境界線証明書』では、「フィリピン共和国の領土境界線と主権は18981210日に締結した『パリ条約』第3条によって確定する」と表明し、また「フィリピン環境天然資源省がフィリピン国土地理資源情報庁を通じて発行した25号公式地図の中で表示した領土境界線は完全に正確で、また真の状態を体現している」と確認している。前述したように、『パリ条約』とその他の2つの条約はフィリピンの領土境界線を確定し、中国の黄岩島は明らかにこの境界線の外にある。第25号公式地図はこの事実を反映している。19941118日に米国のアマチュア無線連盟(ARRL)宛ての手紙の中で、フィリピンのアマチュア無線連盟(PARA)は「1つの非常に重要な事実は、(フィリピンの)関係政府機関は18981210日に締結した『パリ条約』第3条に基づいてスカボロー礁(黄岩島)は間違いなくフィリピンの領土境界線の外にあると宣言したのである」と書いている。

11119974月、フィリピンはその領土範囲には黄岩島が含まれないという立場をがらりと変え、中国無線電運動協会(CRSA)が企画した国際共同アマチュア無線探険隊の黄岩島での探険活動に対して追跡、監視、妨害を行い、さらには歴史的事実を顧みず、黄岩島はフィリピンが主張した200カイリ排他的経済水域内にあり、フィリピンの領土であると公言した。これに対し、中国は何度もフィリピンに申し立てを提出し、黄岩島は中国の固有の領土であり、フィリピンの主張は不当、不法で、無効なものであると明確に指摘した。

1122009217日、フィリピン国会は共和国法第9522号を採択し、中国の黄岩島と南沙諸島の一部の島嶼礁をフィリピンの領土に不法に組み入れた。これに対し、中国は直ちにフィリピンと交渉を行い、また声明を発表し、中国の黄岩島と南沙諸島およびその付近海域に対する主権を再度表明し、黄岩島と南沙諸島の島嶼に対して他のいかなる国が提出する領土主権の要求も全て不法で、無効である、とした。

1132012410日、フィリピンは軍艦「デルピラール」号を派遣し、中国の黄岩島の付近海域に押し入り、当該海域で作業中の中国の漁民、漁船を不法に拘束して拘留し、さらに深刻な非人道的扱いを行い、黄岩島事件を故意に引き起こした。中国は直ちに北京とマニラでフィリピンに対し何度も厳正な抗議を提出し、フィリピンの中国の領土主権への侵犯と、中国の漁民への傷害行為に対して強烈な抗議を表明し、フィリピンが直ちに一切の船と人員を撤退させるよう要求した。それと同時に、中国政府は迅速に中国海洋環境監視監測船隊の「海監」船と農業部漁業局の漁政執法船を派遣して黄岩島に赴かせ、主権を守り、中国の漁民を救助した。20126月、中国の数次にわたる厳正な交渉を経て、フィリピンは黄岩島から関係船舶と人員を撤退させた。

114.フィリピンが中国の黄岩島に対して提出した不法な領土要求にはいかなる国際法のよりどころもない。黄岩島がフィリピンの200カイリ排他的経済水域にありフィリピンのいわゆる領土であるという主張は、明らかに国際法に対する故意で、でたらめな歪曲である。フィリピンが軍艦を派遣し黄岩島の付近海域に武装して押し入ったことは、中国の領土主権を甚だしく侵害し、『憲章』と国際法の基本的原則に著しく背くものである。フィリピンはフィリピン側の船と人員が大規模に中国の黄岩島海域に侵入することを扇動しそそのかしている。これは黄岩島海域における中国の主権と主権的権利を深刻に侵害した。フィリピンが黄岩島海域で正常作業中の中国の漁民を不法に捕まえて拘留し、さらに彼らに非人道的扱いを加えたことは、中国の漁民の人格の尊厳を深刻に侵害し、人権を踏みにじった。

(四)フィリピンが一方的に仲裁を提起したことは悪意のある行為である

1152013122日、当時のフィリピン共和国政府は中比間で達成し、また何度も確認した話し合いにより南中国海をめぐる紛争を解決するとした共通認識に背き、『宣言』におけるその厳粛な誓約に違反し、領土紛争は『条約』の調整範囲に属さず、海洋境界画定紛争はすでに2006年の中国の関係声明によって除外されたことを明らかに承知している状況下で、故意に関係紛争を単純な『条約』の解釈または適用の問題に装い、『条約』による紛争解決メカニズムを乱用し、一方的に南中国海に関する仲裁案を提起した。フィリピンのこの行為は、中国との紛争を解決するためではなく、それによって中国の南中国海における領土主権と海洋権益を否定することが目的である。フィリピンのその行為は悪意のあるものである。

116.第一に、フィリピンが一方的に仲裁を提起したことは、中比が二国間の話し合いによって紛争を解決するという合意に違反する。中比は関係の二国間文書の中ですでに話し合いによって南中国海をめぐる紛争を解決するという合意を結び、しかも何度もそれを確認した。中国とフィリピンは『宣言』の中で話し合いによって南中国海をめぐる紛争を解決することについて厳かに誓約し、さらに何度も二国間の文書において確認していた。上述の中比二国間の各文書および『宣言』の関連規定は相互に補完し合い、中比両国間の合意を構成している。両国はそれらに基づいて話し合いによって関係紛争を解決することを選択し、仲裁を含む第三者による解決方式を排除している。「約束は守らなければならない」という国際法の基礎的規範は必ず実行されなければならない。フィリピンが自らの厳粛な誓約に背いたことは、深刻な信義に背く行為である。フィリピンのためにいかなる権利も設けず、中国のためにいかなる義務を増やすこともしない。

117.第二に、フィリピンが一方的に仲裁を提起したことは、中国が『条約』の締約国として紛争解決方法を自ら選択する権利の侵害である。『条約』第15部第280条では、「この部のいかなる規定も、この条約の解釈又は適用に関する締約国間の紛争を当該締約国が選択する平和的手段によって解決することにつき当該締約国がいつでも合意する権利を害するものではない」と規定している。第281条では、「この条約の解釈又は適用に関する紛争の当事者である締約国が、当該締約国が選択する平和的手段によって紛争の解決を求めることについて合意した場合には、この部に定める手続は、当該平和的手段によって解決が得られず、かつ、当該紛争の当事者間の合意が他の手続の可能性を排除していないときに限り適用される」と規定している。中比両国間ではすでに話し合いによる紛争の解決について明確な選択をしているため、『条約』が定めた第三者による強制的紛争解決手続きは適用しない。

118.第三に、フィリピンは一方的に仲裁を提起し、『条約』の紛争解決手続きを乱用している。フィリピンが仲裁を申し立てた事項の実質は南沙諸島の一部の島嶼礁の領土主権問題であり、関係事項も中比の海洋境界画定の不可分の構成部分となっている。陸地領土問題は『条約』の調整範囲に含まれない。中国は2006年に『条約』第298条に基づいて除外宣言を発表し、海洋境界画定、歴史的湾もしくは歴史的所有権、軍事や法執行活動などの方面に関する紛争を『条約』紛争解決手続きから除外するとしている。中国を含む約30カ国が発表した除外宣言は、『条約』の紛争解決メカニズムの構成部分となっている。フィリピンはその要求を偽装することで、悪意をもって中国側の関係除外宣言と陸地領土紛争が『条約』の調整事項に該当しないという制限を回避し、一方的に仲裁を申し立て、『条約』紛争解決手続きを乱用する結果となっている。

119.第四に、フィリピンは仲裁を進めるために事実をねつ造し、法律を曲解し、一連のウソをでっちあげた。

――フィリピンはその仲裁の申し立てが南中国海における中国の領土主権に触れ、領土問題は『条約』の調整事項に該当しないということを承知しながら、故意にそれを『条約』の解釈あるいは適用問題に曲解、偽装している。

――フィリピンはその仲裁の申し立てが海洋境界画定問題に触れ、かつ中国がすでに『条約』第298条に基づき宣言を出していて、海洋境界画定を含む紛争を『条約』が規定する第三者の紛争解決手続きから除外していることを承知しながら、故意に海洋境界画定において考慮されるべき各要素を分離させて、他と切り離して扱い、中国の関係除外宣言を回避することをたくらんでいる。

――フィリピンは中比がその仲裁事項についていかなる話し合いも行ったことがないという事実を無視し、故意に中国との海洋に関する一般的な事務と協力について行った一連の協議を仲裁事項のために行った話し合いだと歪曲し、さらにそれを口実に双方の話し合いの手段は尽きたと称した。

――フィリピンはいかなる領土の帰属の判定、あるいはいかなる海洋境界の画定も求めないと言明しながら、仲裁の過程、特に法廷審問において、中国の南中国海における領土主権と海洋権益を再三否定した。

――フィリピンは南中国海問題における中国の一貫した立場と実践を無視し、ありもしない作り話をして中国が南中国海全域に対し排他的海洋権益を主張していると称している。

――フィリピンは西洋の植民者の南中国海における歴史上の役割を故意に誇張して言い、中国が長期にわたって南中国海の関係水域を開発、経営、管轄した史実および相応の法的効力を否定している。

――フィリピンは無理やりこじつけて、関連性と証明力の不足する証拠を寄せ集め、その訴訟上の要求を強引に押し通している。

――フィリピンは国際法の規則を勝手に解釈し、極めて論議を呼んだ司法判例と権威に欠ける個人的意見を大量に援用してその主張を支えている。

120.簡単に言えば、フィリピンが一方的に仲裁を申し立てることは『条約』の紛争解決メカニズムを含む国際法に違反している。フィリピンが一方的に申し立てた南中国海仲裁案に対して仲裁裁判所は最初から管轄権がなく、その下す裁決は無効で、拘束力がない。中国の南中国海における領土主権と海洋権益はいかなる状況下でも仲裁裁決の影響を受けない。中国はその裁決を受け入れず、認めず、仲裁裁決に基づくいかなる主張や行動にも反対し、それを受け入れない。

五、南中国海問題を処理する中国の政策

121.中国は南中国海の平和と安定を守る重要な力である。中国は一貫して『憲章』の趣旨と原則を順守し、国際法治の擁護と促進をしっかりと行い、国際法を尊重し、実行し、中国の南中国海における領土主権と海洋権益を確固として守るとともに、話し合い、協議によって紛争を解決することを堅持し、規則、メカニズムによって見解の相違を管理制御することを堅持し、互恵協力を通じてウインウインを実現させることを堅持し、南中国海を平和の海、友情の海、協力の海にすることに力を注いでいる。

122.中国は地域内の諸国と共に南中国海の平和と安定を守ることを堅持し、各国が国際法に基づいて南中国海で享受する航行と上空飛行の自由をしっかりと擁護し、地域外の国が地域内の諸国の努力を尊重し、南中国海の平和と安定を守る問題において建設的役割を果たすように積極的に呼びかけている。

(一)南沙諸島の領土問題について

123.中国は南中国海諸島およびその付近海域に対する主権を断固として守っている。一部の国が南沙諸島の一部の島嶼礁に対して不法な領有権の主張を提出し、また武力を用いて侵略し占領することは、『憲章』と国際関係の基本準則に対する深刻な違反で、不法かつ、無効なことである。これに対し、中国は断固として反対し、また関係国が中国の領土への侵害を停止するよう要求している。

124.中国は終始一貫してフィリピンを含む直接関係国と歴史的事実の尊重ということを踏まえて、国際法にのっとって、話し合いによって関係紛争を解決することに力を入れている。

125.周知のように、陸地領土問題は『条約』の調整事項に含まれていない。そのため、南沙諸島の領土問題は『条約』に適用しない。

(二)南中国海の海洋境界画定問題について

126.中国は、直接関係国と『条約』を含む国際法にのっとって、話し合いによって南中国海の海洋境界画定問題を公平に解決することを主張している。境界画定問題が最終的に解決されるまでは、各方面は自制を保ち、紛争を複雑化、拡大化させ、平和と安定に影響を与えるような行動をとるべきではない。

1271996年、中国は『条約』を批准した際に、「中華人民共和国は海岸が向かい合っている国あるいは隣接する国と、協議を通じて、国際法を踏まえたうえで、公平の原則にのっとって各自の海洋管轄権の境界線を画定する」と宣言した。1998年、『中華人民共和国排他的経済水域及び大陸棚法』は中国と海洋隣国との間の海洋境界画定問題を解決する原則的立場を一歩進んで明確にさせた。すなわち「中華人民共和国は海岸が隣接あるいは向かい合う国と排他的経済水域と大陸棚に関する主張が重なる場合、国際法を踏まえたうえで公平の原則にのっとって協議によって境界線を画定する」、「この法律の規定は、中華人民共和国が享受している歴史的権利にも影響を与えない」。

128.中国は一方的な行動で海洋管轄権を中国に無理に押し付けようとたくらむいかなるやり方も受け入れず、中国の南中国海における海洋権益に損害を与えるいかなる行動も認めない。

(三)紛争の解決方法について

129.中国は国際的な実践に対する深い認識と中国自身の豊富な実践に基づき、国家間に生じるいかなる種類の紛争であれそれを解決するには、どのようなメカニズムや方法を選択したとしても、いずれも主権国家の意思にもとってはならず、その国家の同意を基礎とすべきであると確信している。

130.領土と海洋境界画定問題において、中国は無理に押しつけられたいかなる紛争解決方法も受け入れず、第三者に訴えるいかなる紛争解決方法も受け入れない。2006825日、中国は『条約』第298条に基づき国連事務総長に宣言を提出し、「『条約』第298条第1款(a)、(b)、(c)項に述べてあるいかなる紛争に関しても、中華人民共和国政府は『条約』第15部第2節に定められているいかなる手続きも受け入れない」と表明し、海洋境界画定、歴史的湾あるいは歴史的所有権、軍事と法執行活動、および国連安全保障理事会が『憲章』によって与えられた職務などに関する紛争を『条約』の強制的な紛争解決手続きから除外することを明確にした。

131.中華人民共和国成立後、すでに14の陸地続きの隣国のうち12カ国と、平等な協議、相互理解の精神に基づき、二国間の話し合いによって国境協定を締結した。画定、踏査測定した上で画定された国境線は中国の陸地国境全長の約90パーセントを占める。中国とベトナムは話し合いによって両国の北部湾における領海、排他的経済水域と大陸棚の境界を決めた。中国の話し合いによる紛争解決の誠意とたゆまぬ努力は誰もが認めるところである。言うまでもなく、話し合いは国家意思の直接的な体現である。話し合いの当事者が直接交渉に参加し、最終的な結果を形成する。実践が表明しているように、話し合いによる合意はより容易に当事国の人びとの理解と支持を得られ、有効に実行することができ、また恒久的な生命力がある。当事者が平等な話し合いによって合意を達成してこそはじめて、関係紛争は根本的で永遠の解決を得ることができ、関係合意は全面的で有効な貫徹施行を見ることができる

(四)南中国海においての見解の相違の管理制御と海上における実務協力の展開について

132.国際法と国際的な実践に基づき、海洋紛争が最終的に解決されるまでは、当事国は自制を保ち、紛争の管理制御規則とメカニズムの構築と整備、各分野における協力の展開、「紛争の棚上げ、共同開発」の推進、南中国海地域の平和と安定の擁護を含む実際的な臨時処置に最善を尽くして努め、紛争の最終的な解決のために条件を整えるべきである。関係協力と共同開発は最終的な境界線の画定を妨げることはない。

133.中国は関係国との二国間海上協議の仕組みの構築を積極的に推進し、漁業、石油天然ガスなどの分野においての共同開発を検討し、関係諸国が『条約』の関連規定にのっとって南中国海沿岸諸国の協力の仕組みを構築することを積極的に討議するよう呼びかけている。

134.中国は終始ASEAN諸国と共に『宣言』を全面的、効果的に実行に移すことに力を注ぎ、海上における実務協力を積極的に推進し、すでに「中国ASEAN諸国の海上連合捜索救助ホットラインプラットフォーム」、「中国ASEAN諸国の海上緊急時対応外交ハイレベルホットラインプラットフォーム」の構築および「中国ASEAN諸国海上連合捜索救助机上訓練」などを含む「早期成果」をおさめている。

135.中国は終始各方面が全面的、効果的に『宣言』を実行に移す枠組みの下で、「南中国海における行動規範」に関する協議を積極的に推進し、協議による意見の一致を踏まえて、一日も早く「規範」を成立させるために努力するように呼びかけることを堅持している。「規範」の最終的な成立前に、海上におけるリスクを適切に管理制御するために、中国は「海上リスクコントロールの予防的措置」の制定を討議することを提案し、ASEAN諸国の賛同を得た。

(五)南中国海における航行の自由と安全について

136.中国は一貫して各国が国際法によって享受される航行と上空飛行の自由、海上通路の安全を擁護することに力を入れている。

137.南中国海は数多くの重要な航行通路を有し、関係航路は中国の対外貿易とエネルギー輸入の主要な通路の一つともなっていて、南中国海の航行と上空飛行の自由を保障し、南中国海の海上通路の安全を守ることは中国にとって非常に重要なことである。長期にわたり、中国はASEAN諸国と共に南中国海航路のスムーズな通行と安全保障に力を注ぎ、また重要な役割を果たしている。各国が南中国海において国際法に基づいて享受する航行と上空飛行の自由にはいかなる問題も存在しない。

138.南中国海の海上航行通路の安全を保障し促進するため、中国は国際公共財を積極的に提供し、各種の能力の向上を通じて、国際社会に航法、航行援助、捜索救助、海況や気象予報などを含むサービス提供に努めている。

139.中国は、関係各方面は南中国海で航行と上空飛行の自由を行使する際に、沿岸国の主権と安全、利益を十分に尊重すべきで、また『条約』の規定とその他の国際法規則に基づき制定した沿岸国の法律と規約を順守すべきであると主張している。

(六)南中国海における平和と安定の共同擁護について

140.中国は、南中国海の平和と安定は中国とASEAN諸国が共同して守るべきであると主張している。

141.中国は平和的発展の道を歩むことを堅持し、防御的国防政策を堅持し、相互信頼、互恵、平等、協力の新たな安全観を堅持し、善意をもって隣国に接し、隣国をパートナーとする周辺外交の方針と「善隣、安隣、富隣(善隣友好、近隣関係の安定、近隣国の経済成長促進)」の周辺外交の政策を堅持し、親密、誠実、恩恵、包容の周辺外交の理念を実践する。中国は南中国海の平和と安定を守り、南中国海における協力と発展を推進する揺るぎない力である。中国は周辺諸国との善隣友好を深化させ、周辺諸国およびASEANなどの地域連盟との実務協力を積極的に推進し、互恵ウインウインを実現するために力を入れている。

142.南中国海は中国と周辺諸国を結ぶ架け橋であるとともに、中国と周辺諸国との平和、友好、協力と発展の絆でもある。南中国海の平和と安定は地域内の諸国の安全、発展、繁栄と互いに密接な関係があり、地域内の各国の人びとの幸福と密接な関係がある。南中国海地域の平和、安定、繁栄、発展を実現することは中国とASEAN諸国の共同の願望と責任であり、各国の共通利益にかなうものである。

143.中国はそのために引き続きたゆまぬ努力を払っていきたいと願っている。