「法輪大法」とよこしまな邪説
2004/02/05

  李洪志はさまざまな集会の場所で彼のよこしまな邪説を宣伝し、それを「転法輪」、「法輪仏法」に編纂し、広く撒き散らした。以下要旨抜すいした李洪志の言論はいずれも彼らが編纂し、売さばいた書籍および李洪志の講演、録音、ビデオから引用されたものであり、李洪志が「法輪功」の修練者に繰り返して宣伝したものである。

  人類がまもなく滅亡するという「末世論」を宣伝

  李洪志は多くの場所で次の末世論を宣伝した。「人類は何回も滅亡したことがある」が、今また滅亡に直面している。それは「形と精神がともに滅亡すると言うもので、非常に怖い」。「現在は災禍の末期であり、釈迦牟尼仏の説では、末法の時期においてはすべての魔物が俗世に出てくる」。「人類が滅亡状態におかれたことは81回を数え、わずか少数の人だけが生き残ってきたことに私は気づいている」。「われわれ地球の人類は災難に見舞われる」、「もともとこの地球は爆発すべきである」が、私のおかげで爆発は30年間も延ばされたのだ。

  人類をのろい、地球はゴミ捨て場だと宣伝

  李洪志は「法輪功」の修練者に「弘法」(法を広める)をするとき、今日の人間は非常に怖いということを繰り返して宣伝し、次のように語った。「今日の人間社会を振り返ってみれば、それは非常に怖いということに気づく。本当に怖い。現在の人類は十の罪悪が揃っていると言える」。「人類は堕落しており、至るところに悪魔がいる。今日まで発展してきて、人々は徹底に魔の特性を持つ変人になり、すべての神仏が人類に対しまったく自信をなくすようにした。これは神仏が人類をかまわなくなった主な理由の一つである」。「人間が地球で生きるのは、あなたに地球でただ人間として存在させるためだけでなく、あなたが地球と謎のような環境の中で早めに悟って戻るようにするためである」。戻ることができないものは、仕方なく罪業がすっかり除去されてしまうまで輪回をつづけなければならない。だからこそ、地球は何回も災禍に見舞われたのだ」。「宇宙の中の悪い人間は宇宙の中心である地球に落ちてくるのである。地球は宇宙のゴミ捨て場である」。人間が宇宙から落ちてきて、「最後に常人の層に堕落し、この層に落ちたら、人は滅亡してしまい、滅びてしまうことになる」。

  現代科学を否定し、現在の科学を認めないよう宣伝

  李洪志は「法輪功」の修練者に「現在の科学は科学とは言えない……現在の科学では宇宙の秘密をいつまでたっても探知できないからである」。「人類の(科学)技術はより高い認識レベルに達することができない……。しかし、法輪功を修練する人は達することができ、神仏こそ最高の科学者である」。「人類の現在の科学は実に誤った基点に立って発展してきたものであり、宇宙、人類、生命に対する認識はいずれも誤ったものであるので、修練界において、われわれ修練者はまったく現在の科学を認めず、それは誤りだと思っている」。

  彼と彼の「法輪大法」のみが人類を救えると宣伝

  「法輪大法」は宇宙の特性(仏法)を初めて人間に残し、天に昇るハシゴを人間に残したのと同じである」。「当面、全世界では私一人しか正統の仏法を伝授しておらず、私は前人がやったことがないことをやっているのだ」、「私は確かに前人がやったことがないことをやり、より大きな宇宙の根本的な大法を宣伝し、みなさんが古代や現代、中国、外国の書籍をひもといて調べても探せないものだ。私が語る道理は宇宙の特性であり、仏法の根本である」。私はあなたを済度するために来たのであり、「私がみなさんを済度できなければ、誰もみなさんを済度することはできない」、「人類社会はすでに極点まで堕落し、他の人は滅亡を待っていてもかまわないが、私だけはかまっているのだ」。「私の仏身は数え切れないほど多く、人がどれほど多くいてもかまうことができ、私は全人類をかまうことができる」。

  病気を患うのは「罪業の報い」だからであり、修練者が医者に見てもらうとか薬を飲むとかはだめだと宣伝

  「罪業」は仏教用語であり、もともとはプラス、マイナスの意味はなかったが、李洪治はそれを悪事を働いた因果の報いだと言い、「病気とすべての不幸をもたらす根本的な原因は罪業であり」、それは「黒い物質の罪業の場であり」、「人間が病気にかかる根本的な原因であり、最も主要な病気のもとである」、と「法輪功」の修練者に宣伝した。また、彼は次のように語った。「出生、老化、病気、死亡には因縁の関係があり、罪業の報いであり、みなさんは債務があればそれを返さなければならない」。「病気は人間の罪業によってもたらされたものであり、その罪業が除去されなければ、人間の病気は根本から治されることはない。罪業を除去したければ、必ず気功を修練する道を歩まなければならず、他の方法はだめだ」。「病気の本質は、別の空間における問題がこの空間に反映されてきたものであり、例えば、別の空間に存在している病菌を人間は根絶することができないものか。われわれの修練界では病気を認めず、病気と言わず、それを罪業と言う」。「本当の修練者は病気を患わないばかりか、いかなる危険にもさらされない」、修練者の功の力は病毒と罪業を自動的に消滅することができる。薬を飲むと、罪業は抑制することになるが、体を清めることができないため、病気を治すことができなくなる。みなさんはこの関門を通り抜けてはじめて、超人となることができるのだ」。

  自分は「仏身」を持ち、修練者の腹に「法輪」を入れたと宣伝

  「現在の学員、他の気功派の先生を含めて仏身をもつ人は一人もおらず、私の知るところでは、仏身をもつ人は私しかいない」。「私は数え切れないほどの仏身をもち、容姿も私と瓜二つである。彼らは別の空間にいるので、大きく変わることもできれば、小さく変わることもでき」、「主体は私のところにあり、彼らは一人で事にあたる能力があり、みなさんの世話をしたり、保護したり、気功の修練を助けたり、他のことをしたりしており、実はみな私の化身であるので、私はみなさんを守ることができる」。「私の仏身の大半は仏の袈裟を身につけ、髪は青色の巻き毛であり、青色が非常に濃く、青緑色のものである」。「今日の人類社会は非常に混乱していて汚く、人の罪業や悪い思想が非常に多いが、私にはそれらを除去することができる。それから、さんぜんと輝く金色の法輪と大法全般をみなさんの体の中に入れ、みなさんに修練させることができ、みなさんの極めて汚れた体を清める……これは有史以来はじめて出会ったよいことであるが、あなた方はそれと出合ったのだ」。「私が修練者の下腹に入れた法輪は毎日、一日中止まることなく回転し、自動的に修練者の法輪功の練習を助ける。つまり、修練者はいつも修練しているわけではないが、法輪は止まることなく人を修練させているのだ」。

  宗教をねじ曲げ、こき下ろし、「法輪大法」は「正法」だと宣伝

  李洪志は仏法を看板として、その中の宗教用語を盗んできて使い、それをねじまげ、彼のよこしまな邪説は事実上反宗教のものである。李洪志はその「法輪大法」を「最高の仏法」、すべての宗教をしのぐ「正法」と称している。修練者に「法輪大法」を信じ込ませ、彼のよこしまな邪説ばかりの教義に服従させるため、李洪志は修練者が宗教を信仰することに反対し、「現在の宗教は人を済度することができず、修練ではなく、低次元のものである。みなさんはあれほど大きな仏法の中に物を入れようとするなら、低次元のものを入れてはならず、みなさんの修練した体とみなさんが修練を通じて得ようとするものを乱すことになり、家にも帰れず、みなさんは自分たちの進む道を塞ぐことになる」。「仏教、キリスト教、カトリック、ユダヤ教、他の宗教をも含めて、それらは歴史的に正教だったと私は認めている。しかし、今日の歴史的時期において、今日のような現代化した人間の観念の社会において、人々は人間の本質と古い観念でそれらを理解することができなくなった……それらを理解できなければ、それらによって済度されることはできず、それらもみなさんをかまわないことになる」、「私がこのように教えるのはあの人間を済度できない宗教によってみなさんが遅れをとることを心配するからである」。今世紀に生まれた宗教、今世紀ばかりか、これ以前の数世紀に世界各地に生まれた多くの新興宗教はその大半はニセモノである」。中国の宗教界の人々が指摘しているように、李洪志およびその「法輪功」は宗教と全然関係がないだけでなく、そのよこしまな邪説は宗教の教義と対立するものであり、宗教に反対するものである。